「ほっ」と。キャンペーン
見も心も熱いっす!
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みなさんこんばんは!バイパスホンダの山下です!

えぇ、昨日のワールドカップなんかですよ?

残り10分の3点ってですよ?

テレビ見ながらですよ?









いすからひっくり返りそうでしたよ?












えぇ、まさにその時はですよ?












多分皆さんもそうだったと思いますがね?
















たぶんこんなん…↓

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テレビの前で


みなさんですよ?


イナバウアー!(泣




えぇ、僕ももちろんイナバウアーでしたよ?


山下です!(泣!





がんばれ!ジーコジャパン!


ブラジルすらも蹴散らしてくれ!





はい、気を取り直して今日は何の日です



今から424年前の今日!



▲羽柴秀吉、京都山崎で明智光秀を破る(山崎の戦い)。

光秀は大津へ落ちる途中、小栗栖で農民の襲撃を受けて絶命。光秀55歳(1582)


えぇ、3日天下といわれた光秀の最後!

ちなみに詳しくは↓

秀吉は対峙していた毛利軍と素早く和議して畿内へ急行し、

同時に諸将に檄を発して光秀討伐の指導者としての立場を固めた。

これに対して光秀の敗因は十分な迎撃体制をとることができなかった事

(それでも明智軍側の指揮系統能力の高さが発揮され、

戦死者数では勝利した羽柴軍の犠牲の方が多かったとされている)や、

山崎が京から西国へと出るために要所であり、

明智軍はこの要所を防衛する形で戦わざるを得なかったからだとも言われている。



一般に、明智光秀と親しい筒井順慶が洞ヶ峠で日和見を行った事や、

羽柴軍の武将中川清秀が天王山を占拠して明智軍を牽制したことが戦いの

帰趨を分けたといわれ、この故事から、日和見を「洞ヶ峠」、戦いの正念場を「天王山」と呼ぶ。

ただし、実際には筒井順慶は洞ヶ峠まで出陣してはおらず居城に篭っていただけであるし、

天王山の争奪は戦局に大きく影響はしなかったとも言われる。




光秀は居城坂本城(大津市)をさして落ち延びる最中に小栗栖(京都市伏見区、山科区)

で落ち武者狩りに遭遇して討ち取られたと言われる。

いわゆる三日天下である(実際には十一日)。秀吉はこの戦いに勝利した結果、

信長亡き後の家臣団のなかでの発言力を増した。




グッジョブ!秀吉!

裏切り者には天誅だ!



まあいろいろ事情はあったと思うんですがね?

謀反はいけませんよ?


で、誠に申し訳ないんですがね?

今日今からビアガーデンに行くのでですよ?

バイクネタなし!










ここ覗いてくれたみなさん…







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誠に残念!(今日終了!







はい、また明日楽しみにしやがって下さいね!

では、今から酔っ払いタイムになりやがるので

さようなり。
by bphk | 2006-06-13 18:47 | 日記 | Comments(0)
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